ゲームSSぶらり旅

ジュゲ(zyuge)によるゲーム色々体験記。SSてんこ盛り。

ニュース:Android:パズドラ:あの会社がまたやらかしたよう

パズドラのコラボガシャで新しいキャラ導入されたようだが、

これが大きなニューになっているよう。

またしてもレイの■e社だ。

3月は会社の決算期なので1円でも稼ごうと仕掛けてくる。

なのでどのスマホゲーでも色々と動きがあるようだ。

フルボッコは鉄拳とコラボして、やっぱりガシャをやっている。

zyuge_20140226_1

このキャラクターが当たるようだが、

マズイのはそれまでのキャラがゴミ化するほど規格外に強い。

その余りの強さに阿鼻叫喚地獄と化しているようだ。

つまり当てたら天国、外れたら・・・という世界。

スマホゲーの本質)

特に驚くことはない。スマホゲーの本質はどこも同じである。ようは強いキャラさえ課金ガシャで当てればゲーム性を無視してクリア出来る程度の内容なのだ。そして強いキャラさえいれば他のプレイヤーを圧倒的できる。経験値もゲームマネーも金で買える。今の日本のプレイヤーはそこにカタルシスを求め課金にはしるのだろう。それが楽しいというのだからこうなるのも当然の話だ。

■e社)

今回騒ぎになったのは過去の上げ幅を無視して極端にやってしまった点だろう。まー頭が悪いというか、自社の利益しか考えていない後先考えないやり方であることは確かだ。この会社なりにこのサービスに対しての価値判断なのだろう。(もう先がないから今のうちに俺だけでも稼ごう) ■e社は伝統的に他社を蔑みユーザーを○○と思っているので思いっきりやってしまっただけだ。狡猾な会社はもっと上手くやるが、やってることは同じだ。

パズドラ)

親戚の子が薦めるので一時期それほど面白いものか?と思いやってみたが、すぐになるほどわかった。確かに面白い部分がある。今のゲームよりゲーム性がある。 彼ら曰く、1.自分の手勢でいかに勝つか作戦を練る 2.コンボの鍛錬 3.偶然性 これで三位一体になった時にカタルシスがあるようだ。確かにそれは低レベルでも感じた。

しかしそれは次第に崩れていく。課金キャラ前提のクエがどんどん出てくる為だ。それでも彼はやっている。彼は彼なりに課金という手段を使わないで限られた範囲内で楽しんでいるようだ。賢いと思った。それはつまり単にパズドラのゲーム性にハマっている。キャラに愛着があるからであって、これは真っ当なハマり方だ。彼は無課金である。どうしても欲しいのあり課金するかどうか相談を受けた際に助言したのが影響しているかもしれない。あの様子からすると課金するんだろうなーと思ったが以外にもそのお金で読みたかった漫画本を買っていた。

私は遊ばなくなった)

私はすぐ遊ばなくなった。それは、このゲームの本質はパズルでも作戦でもなく、単に強いキャラをいかに引き当てるかにかかっているかであることが実感したからだ。途端にバカバカしくなる。パズルもぶっちゃけ面白くはない。私は下手な横好きでパズルは昔から好きだが。なにせ偶然性が強すぎる。ツムツムなんかは単純に面白いからまだわかる。唯一作戦に価値を見出せそうだが、作戦をたてるにはキャラの性能を理解している必要があるが、そもそもそのキャラを全く良いと思えないので覚える気にならない。

その子らに、「このゲームってパズルを究極的に高めたら勝てるものなの?」って聞くと「勝てないよ」と即答された。賢い。実は知っていたがどう考えているか聞きたかった。パズドラの評価で秀逸なコメがあった。そこにはパズルで勝てないドラゴンでも勝てないから、ゴッド&マネーにタイトルを変えたらどうでしょうか?というものだった。(当時はゴッドじゃないと勝てないクエがあったようだが今やそれすら怪しい) その件をレベル数百の彼らに言うと、手を叩き腹を抱えて大笑いしていた。「それすっげーわかる!!そう!!それ!!」だそうで、レベル数百まで鍛えた彼らだからこそあそこまで笑えるんだろうな。

この時点でこのゲームはゲーム性としては完全に終わっている。後はキャラに愛着があったり、育てたキャラを使いたいという感覚でのみ存在するのだろう。私は両方ともないので起動することはない。子供とはさすがで、私が遊んでないと気づくとフレンドを解除していた・・・少しさびしい気もしたが、(´∀`)ですよねー

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2 コメント

  1. takahata 2015年3月2日

    takahata でリブログしてコメントを追加:
    俺はゲームやらないんだけどね、くっだらない世界なんですね、全てが無駄にしか思えません

    • シューニャ・アサンガ 2015年3月2日 — 投稿者

      ある意味では正にその通りだと思う。無駄。まさに時間とお金の浪費。
      でも、別な角度から見ると、それで救われる思いというのも確実にある。
      ゲームを通して友人が出来た人。
      またゲームの実況を通して友と出会った人。
      ゲーム実況で楽しみを見出した人。
      そこから転じて、様々な思いや、出会いがあったり、
      世の中の仕組みを理解したり、感じたり、希望を見出したり、ガッカリしたり。
      毎日が面白くなくて、辛くて何か救いが欲しかった時、身体が動けなくて虚しく一人格闘した時、ゲームになんだかとても救われる時もある。
      プレイしているその一時だけ、辛い現実を忘れられることがある。「明日はがんばろう」と思える時もある。
      それそのものは価値がないとは思はない。
      ただ、こうしたガシャ等が子供の価値観を崩壊させたり、ゲームそのものをつまらなくさせるのは、どうなんだろうかと思う。
      大人はもっと考えないといけない。そして、遊ぶ側も自分の足元を見直すことが必要だとは思うね。

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